「元気があればなんでも出来る」から考える

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ある人に言わせれば、アントニオ猪木の
「元気があればなんでも出来る」

「元気が無ければなんにも出来ない」
ことと同じらしい。
not(否定)を2箇所に付ければ良いってもんじゃない。
ここから読み取れるのは単に頭が
悪いということだけでなく、
病理とか、そういうキャラクターへの
忌避とか、だろうか。
正しくは
「元気があれば本当になんでも出来る!」
のであるから、おまじないとして、
刷り込みとしてルーティンとして使うために
この言葉は存在するのであるし、
「疑わしいけれども元気なのは良いことだ」
だし
「元気がなくても幾分かは出来る」
だし、たとえ批判的検討だとしても
「では元気が無かったら・・・?」
と思うことが重要だ。
「元気があればなんでも出来る」
このセンテンスでは、
元気が無かったらどうなるか、
そんなことは定義付けされてないし、
そもそも元気が出ない人を貶めるための
言葉であるはずがない。
(もしくは対象外で眼中にない・・・)
何が言いたいかというと、
何らか名言や常套句のようなものがあり、
結局その発言者や風潮、”在る”とされる
受け取り方・受け取られ方のせいにしていて、
己の解釈の責任を持たない問題がある。
「その言葉によって辱められたー」
「その言葉によって自分の価値が下がったー」
という一種の被害妄想。
「そもそも元気が出ない自分にとっては無価値」
「元気が出ない・無い人にとって地獄の言葉」
どうとでも取れるのかもしれないが
その発想が病理であり危険なのだ。
むしろそんなものと自分は無関係だと
思った方が良い。もしくは積極的にそうするべき。
もしくは「猪木キライ、知らない」で良い。
暗部に目を向け罵らず光明を探せ。
別に猪木の言葉が俺にとってどうこうという
ことではなく、似たものとしては
刃牙の板垣恵介先生のフレーズの方が
面白いと思う。
まあ昔の猪木のパチスロでレア演出と共に出る
猪木名言の面白さはヤバいなと思ったけど
その程度だ。
「受け取り方」の問題。
今回何故こんなことを取り上げたかは、
このあとに続く記事でわかるだろう・・・
一冊の本を読んで、こんなことばかり
考えてしまった・・・
 それでは・・・
 Beat your cajon!
 ※「Beat your cajon(カホン)!」とは・・・

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