映画 ソーシャル・ネットワーク

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映画 ソーシャル・ネットワーク
観に行って良かった。
「良い映画」かと言われると、
家族や一部友人にはオススメしないが、
かなり好きだったし、考えさせられる。
家族は俺がTwitterやUstream、
パーティで楽しんでると言っても
何も思わないどころかむしろ訝しがる
人たちなので・・・
自分の責任でもあるので、これを機に
聞く耳持たれない関係を打破すべく、
家族との対話の道を選んでみるか・・・
やめとこ。
「え?本質的に映画が大好きで興味がある
とかならSNS関係なしに観れるんじゃない?」
わかるけど、そういう人はSNSに
対しても寛容的じゃないのか。
悪い面だけを見たり粗探しに奔走する人
じゃないはずだ。まあいいや。
主人公のマーク。
孤高の天才でアスペルガー症候群っぽく
描かれてるし、そうなのかもしれないが、
心の痛みはある。
ラストのF5連打と、失恋のショックによる
絶対値を何倍にも膨れさせて転化して
人を集めるWEBサービスを超速で作る
ズレっぷりとか。
彼を安易に憐れな目で見るやつは、
ネットに限らずそういう人たちが
作ったインフラの上で生かされている
可能性もあるということ、
それなしでは生きてゆけない
ということを考える暇もないのだろう。
可愛くて健康的な印象で、一見正論
かのような捨て台詞をもってして
マークをフッた元カノもそんな感じ。
元カノを擁護してる人が多いのが不思議。
カワイイは正義なうえに作れるし怖い。
マークの学歴差別や無神経な発言に
激昂しそれっきりでフッた気でいるが、
付き合う前にマークのそういった性質や、
痛みや感情に鈍感な部分などを全く見抜けて
おらず交際していたこと、そのケンカで
コンプレックスがズブズブであるのが
判明したこと。
些細なきっかけでの失恋や離婚を繰り返す
タイプか、マーク同様お子ちゃまなのか。
なんでこんなカワイイ子を大事にしない!
マークすざけんな!!とか一瞬思ったけど、
マークと正面からぶつからずに支えてあげられる
カワイイ子だって無数にいるだろう。
facebookにワールドワイド構想を持ち込んだ、
ナップスター創始者でありビジネスパートナー
となるショーンパーカーが印象的。
表面的なチャラさウザさで彼を
シャットアウトする人は多そう。
確かにウザくて怪しい。
ワンナイトラブ(死語)かました女子大生の
家でfacebookを知るっていう。そして
そこから主人公たちにアプローチ。
しかも初めのアポで堂々と遅刻してくる。
食う感じで音量がデカい、チャラめの
テクノがかかるクラブのシーンで、
典型的なヤリサーキャラに興じるところ。
これらに目を眩まされて、ショーンの
人間力を見ようとしない人は実に多そう。
だいぶハッタリ入ってるけど恥じることなく
壮大な夢を語れること、行動力があること、
何よりもパーティキャラ且つ奔放でいながら
ハンパない記憶力を持っていて、相手の話を
細部まで覚えている。
常にマシンガントークをしているようでいて
きちんと相手の話や反応も引き出し、
そいつの可能性を見極めていること。
気配りもあり、デキるスーパーヒモ?
料理もできるし。確かに敵は多いタイプ。
でも、マークの親友エドゥアルドは、
本質は古典的ドラマツルギーに身を置く
人間でありながら、ギーク非モテの間で
揺れる人なので、こういうブレーキ
はずしたような人は無理なんだろう。
ショーン自身はナップスターにしろ
facebookにしろコンテンツそのものを
生み出しているワケはないので。
とことんシンパシー。良く後輩に言われてる
「コンテンツなんですよ」。そうだな、
俺も何も生み出してない。
エドゥアルドが(あくまで”事後”に)
正論を吐いて、黎明期の出資者であることや
共同創設者であることを必死にアピールし、
事業のかなり序盤に色々投げたのに権利だけは
主張してて、なんだか日本人の共感を
誘ってウケそうだなと思った。
正しくても、もう当事者じゃない。
主体性がない。最初からショーンと合わないと
わかっているのに相談もケンカもしない。
自ら外野に身を置いた人間。
結局、金を出したのは俺、多分大丈夫。
不安になったら見に行く、程度。
大半は紳士的に振舞っている反面、
相手のミスをいつまでも許さず責めたり
オフィスに乗り込んでPCを破壊したりと
ボロが出ると危ないタイプ。
本当に欲しかったのは訴訟による
金じゃなくて、もっと相談して欲しかった、
自分のアイデアを取り入れて欲しかった、
という精神面の充実なのだろうけど、
その友人の関係性についても
自分の方から投げ出している。
エドゥアルドの金と友人関係との
葛藤は、ウィンクルボス兄弟(マッチョ)の
滑稽さやショーンのチャラさが
スケープゴートになっている感じ。
本当に恐ろしいのはマッチョでも
ヤリチンでも無く、自分を真っ当な
善人だと信じて疑わない人間だ。
正義漢気取りが、最後は暴力しかない、
みたいなことを言って武者震いしてるのは
どうかと思うとこある。
最後を思い描く前に対処に全力注げよ。
実は今マーケティングに関する本を
読んでいて、”フラタニティ”に関する
項目にたいそう感心してタイムリー。
それでこの映画への思い入れが
デカいというのもある。
エドゥアルドは、その手のコテコテの
エグい入門テストや新人いじめのある
ハーバード屈指のエリート集団に
入ろうとするのである。
テストは何段階もあるし、無意味にキツい。
うーんそういえば某FM局の入社試験、
何度も何度も面接行って最終で落とされたなぁ。
円卓の重役たちにサクッと罵倒されて。
メンヘラだからそういうの無理なんだわ。
通知の表記「合格」「不合格」なんか
気に食わないし、今となっちゃ
心からやりたい仕事でもないのに
良く最後まで残れたなと、また
大甘な自己採点をしておこう。
エリートサークルや結社、宗教団体に
見られるフラタニティのそれは、
廃止されつつある強烈な通過儀礼や奇祭同様、
「自らそれを選んだのだ」
「自分は選ばれた人間だ」というような
到達感が、信じられないくらいの
パフォーマンスやトランス、
結束力を発生させる。
だから消えない風習や伝統が存在する。
エデゥアルドはそこに身を投じた。
自尊心の脇固めがなされると信じて。
ウィンクルボス兄弟もボート部のエースで
その力はオリンピックに出るほど。
ただ、ハーバードの学長はそういった
マッチョやエリートなどが既存の
レールの上にあるものなら何の意味もないと
一蹴する。ビジネスは創発するものと。
民事不介入。外野には興味ない。
滑稽なシーンなのに言い得てる。
ふう・・・長い。
家族、友人、女に依存することなく、
皆を大事にすること。そのうえで
ビジネスもパーティも本気で楽しむ。
「何かを犠牲にするしかない」、それは
そいつがそう思い込んでるだけ。
太く長く生きるのがベスト。
時間の制約を乗り越えて、関わることには
手を抜かない。
そんなことを改めて学んだ映画だった。

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