尾崎豊の「遺書」全文

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Tumblrで、
「尾崎豊全然共感出来ないんだけど」
―10年前も同じこと言われてたよ
―20年前も同じこと言われてたよ
というのが凄いnotesを伴って流れてきた。
そんな人の葬儀、護国寺には4万人の
人が集まった。
護国寺は近所で、囲むように4万人も
居られるような作りと立地じゃない
ということを俺は知っている。
ということはあの地域一体が異様な
人の群れで各所に溢れていたことになる。
・・・
何でこんな前段を入れたかというと、
尾崎に関しては俺だけではなく
多くの人がアンビバレンツな感情を
抱いているからなんじゃないかと
感じるからだ。
それは歌詞に対してもそうだし、
明るみに出ている事実だけを見つめた時にも
彼という人間がもし自分の知り合いなら
信頼に値するのかどうか、などと
考えてさせられることも原因。
件の連中は単に興味が無いだけなのか、
それでもネタにはフリーライディング
したいのか、その手の願望や反応で
動いているように思われる。
時代の潮流やセールス、事実を
振り返ることもせず、毛色の合わない
ものをネタ化メタ化して暇つぶしを
し続けるような行為には反吐が出る。
本題に入ろう。
文藝春秋の『尾崎豊の「遺書」全文』を
読んだ。
大体の話は今までも何らかの報道、
雑誌の内容と大きく変わることは無かった。
ただ、俺は”死”というものに対して
尾崎を通しては向い合ってこれなかった。
だから、前段でTumblrのネタに対して
憤りを露わにすれど、己だってネタの如く
カラオケで、教室で、尾崎を熱唱してきた。
(言っておくと、TVで良く使われる曲
 以外に、素晴らしい曲は沢山ある。)
一方、尾崎の音楽に多く触れていた
俺の思春期は酷いもので、良くある
パターンかもしれないが「遺書」やら
「人類とは」やらそんなことばかり
考えていて、しばしば紙にも起こしていた。
キモくてブサイクな奴が何故か
ワンチャンモノにして童貞を脱し、
こちらを蔑笑してきた時のあの顔、
良く覚えてる。
これが本物の中2病ってやつだ!
黒歴史ってやつだ!
でも足りない脳でも何でも、誰にも
打ち明けず自分の中だけでひたすら
瞑想(迷走)したり悩み抜くこと
っていうのは、ちゃんと時間を取らないと
だめだよね。そういう意味では良かった。
尾崎の中ではDQNと繊細君が激しく
せめぎあい過ぎていたのかな。
ファンに対しては演じることは出来ても、
リアルな関係性のところでは”モード”
としての付き合いが出来ない。
「さらけ出せば人は離れていく」
というような感覚。おこがましい?
くも俺にも似たようなところはある。
年をとって、大事な人たちの死を通して、
嫌でも悲しくても学ぶし、そういった
ことへの自分なりの付き合い方も
身についてくる。
だから、今回も文藝春秋を手に取ることが
出来たんだと思う。
一番の転機だったのは10年ほど前の
大学生の頃にはなるが、父方の祖母の
死だった。
その頃祖父は重度の痴呆とアルツハイマーで
祖母が亡くなったことすらも理解出来ない
状態だったが、出棺の時には大声を上げていた。
そういった不思議な現象や関係性のことも
ある。
また、祖母と母はいわゆるちょっとキツめの
嫁姑の関係で、祖母がガンで入院後も
色々と母は大変だった。
(おつかれさま。祖父母の介護に、色々と、
 母ちゃんは本当に良くやってたと思う。
 このまま遊びまくれ!)
で、もう長くはないぞ、という状態を経て、
祖母が亡くなった。
その時だった。
葬儀や諸々で忙しくなるぞ、という時に
母が熱を出して寝込んだのである。
明らかに憔悴している。
こんなことはブログで書くべきことでは
無いかもしれないが、やはり嫁姑の関係
というものは大変難しい場合が多々あり、
そんな時あらぬ感情を相手に抱くことは
往々にしてあると思うのだ。
特に大学の時の俺の率直な印象として
「え、母さんこれで楽になるんじゃないの?」
というものは確かにあった。そして
母の中での見積もりもあったに違いない。
でも何か色々爆発してしまったのか、
母親は倒れてしまった。
実質最初の方は喪主のオヤジと姉が
色々とやって、親戚に手伝ってもらって
いたと思う。
それまでの関係性と人の死、それが
トリガーになって起こることには
不可解なこともあるんだと、頭ではなく
体験として知った。
それが祖父の死の時にも起きた。
正直なところ、
良いおじいちゃんおばあちゃん、
愛情たっぷりで感謝しかない、という
面が微塵もないとは言わないが、
「面倒臭い」という印象が強かった。
俺がマザコン気質だったことにも
起因しているとは思うが。
で、言葉は非常に悪いが、姿形だけが
人間のようで、中身は凶暴なゴリラ
以下と化してしまっているように
見えた祖父も、最期は徐々に細り、
老衰して亡くなった。
早朝病院から連絡を受け車で15分ほどの
病院に駆けつけると、祖父は本当に
意外にも安らかな顔で眠っていた。
その時は、特に何かが強く去来したわけでもなく、
「みんなお疲れ様」
とだけ思っていた。
が、葬儀の時、俺は大泣きしてしまった。
何に泣いたんだろう。
さっきも書いた通り本当に申し訳ないし
バチ当たりだけども、凄くいい思い出が
沢山あるとか蘇ったとかではない。
家族の苦労、色んなこと、そして終わる
ときはあまりにあっけない、
それが無情か?無常か?ということに
対してワケがわからなくなって泣いたのか。
・・・と、わかっているつもり
(自分のことは自分が一番わかる、みたいな)
の自分に、謎の生理現象や反応が起きる
こともあるもんだ、と学んだのが大きかった。
・・・
「尾崎」と「覚醒剤」というキーワードは
確実にもう1人のミュージシャン
“岡村靖幸”の連想を連れてくる。
人の死を通して、自分の心身に起こる
振れ幅の大きな”反応”という通過儀礼を
経た今も、彼の覚醒剤使用・逮捕を
ネタとして笑うことは俺には出来ない。
(きっと、尾崎のことも岡村ちゃんのことも
 ネタに出来るやつは、死をリアルに
 感じたことが無いからこそ為せる業
 なのかもしれない)
俺やファンにできることは無いかもしれない。
でもそういったミュージシャンに対して
身近な人達の接する術が、少なからず
洗練されてきていることを祈る。
真実の愛や友情なんてものでなくても良い。
それは”モード”であって構わないというのが
俺の考えだ。
張り詰めた線をたまに緩めてあげる係、
生活改善に導く係、図太く長く生きるのも
悪くはないむしろ楽しいと導く先輩、
そんなものが役割として必要なんじゃないかと。
それが決して薬や酒の類であっては
ならないのだ。
なんとしても関係者や近親者が
止めなくてはならない。
薬の使用を止め更正させること、
根治させマインドセットを確立することは、
ほぼ全てのことに勝ると言える。
ここには書かないが、とある家族を
実際に見てきて俺は強くそう思う。
また近親者の糖尿病のこともあって、
俺は酒もやめようと決心したのだ。
あとは酒要らずでハイになれる
心の師匠の存在が大きい。
強いからではない、心が弱いから
酒をやめた。それで納得いただけるだろうか。
「宗教?」と嘲笑されることよりも
訝しがられることよりも、勝る。
・・・
実はこのエントリーで、
imoutoidのことも書こうと思っていたが、
既に冗長であることと、同列で語るのは
どこか違う気がするという点で、
また改めて彼と向き合うのは別の機会に
しようと思う。

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