バンドとアイドルの対バン

NO IMAGE

バンドとアイドルの対バン
方向性を限定して、何かに特化していた故、
敢えて表出していなかった一面やスキル、
演出など見せ(て、コラボす)ることによって
のみ辿り着ける非日常性やサービスがある。
実は生バンドでも余裕でモニタリング
出来て一緒にやれるアイドル、でも
普段はほとんどそんな姿は見せないよ、とか。
インプロ的な何かを披露しあい、
普段は絶対に見ることが出来ない領域を
バンドとアイドルが協働で目指す、とか。
(それでは確かに儲け以上にコストはかかるだろう。)
じゃないと何かがコラボする意味なんて
あるのか。あ、送客し合えてるならあるのか。
でもラーメン屋同士のコラボはちょっとなぁ・・・
送客し合うイメージもあまり湧かん。
頭数並べてるのも嫌だ。
(狭い場所にDJが沢山出まくるイベントも嫌だ)
駒を動かす人たちの賢さとかセンス、
文脈にシンパシー得たりとか、センス良く
思われるためには頷いとけみたいな
とこなんじゃないの。めんどくさ。
かなり昔に、人から、BECKが
「自分の音楽はパズルでしかない」
と言い切ったと聞いた。
またその人はえらくBECKの達観ぶりというか
センスに感心していて、俺にはそれが
全くわからなかった。BECKは素晴らしい
楽曲を生み出せるのに、何故敢えて
そんな情報をファンに与えるのか、
ニヒリズムなのか。
え?その人のパズルのセンスに何かを
思わなければいけないの?もしくは
俺らは所詮全てが想定内の組み合わせ
順列の中で消費行動をさせられていて、
メタで儲かる人らに高笑いされてるだけの
存在ってこと?冗談じゃないよ。
こっちは音や言葉、演者そのものに
揺れたり泣いたりするのであって、
舞台裏やスタンスありきで受け止める
義務など無い。そういうのが好きな人たちを
ハメると確かに儲かるんだけど。
確かに大量の消費行動から生まれる
自然な関連性や文脈の発見は面白いが、
何かにつけてエクスキューズが
ついて回ることにはウンザリだ。
今いる大御所や往年のスターも、
似たようなことをしてきているとして、
最近はその物語化のルーティンや収束が
速過ぎるし、「こうやって作りました」
とか「作る過程を全て見せています
凄いでしょ」、というのが当たり前に
なり過ぎている気がする。
見たくなくても情報が流れてくる。
インフラとオサラバしなければ。
さもなくば非常にデリケートに賢く(笑)
インフラを使いこなさなければ。
また、奇抜や自由なように見せかけて、
実は型にハマっているというか、
退屈だろうが何だろうが敢えて
ミニマルに連続することによって
ハメさせて(洗脳と同様のプロセス)
それが”イケてる”ということに、
強引に押し込んでいくシステム。
政治が!大手代理店が!マスコミが!
じゃない本質は。ステークホルダー
みんなで酔っ払ってる。
その場にいても何ら特別感や心の底から
湧き上がってくるお祭り感がない。
ただ、そのプロパガンダをエンタメという
媒体に乗せているからスキも生み出しやすいし、
強烈な同調圧力を作り出すことが出来ている。
みんなが麻原彰晃の歌を無邪気に
歌いまくっていた頃を思い出すよ。
でも、良く姉に言われることがある。
「あんたは何かに抗いたがり過ぎる」
それは納得できる。続けて、
「多くの人々は煽動されたがるもの。」
言い換えれば、
「先導されたがるものだ」
と。
読んでる本の種類はだいぶ違うし、
売れてる小説とかっぽいけど、
何だか流石だな。
俺は嫌だよ、例え後ろ指をさされて、
大したアウトプットも出せずに
失敗しても、自分で選びとっていきたいし、
渇望やインスピレーションが成果を生む
ステージに行きたい。

アイドルカテゴリの最新記事