放送室・音楽室の思い出 DJトーニャハーディング誕生前夜
NOGIROOMの長尺の完全版を観るためだけでもhuluに入る価値はあるんだが、(それだけカットの多いTV放映サイズと完全版とでは違うってことだ!)俺はNOGIROOMを見てしばしば涙している。
私服というテイのパジャマ姿で登場する乃木坂メン(それだけで誉れ高きコンテンツ)の素が垣間見えたりユルユルだったりするなかで、そこに不在のメンバーからのラブレターコーナーは番組としても締まるし、内容もとても良い。仲良しメン同士の書簡だけではなく、これからもっと心の距離を詰めたいという願望を伴ったものがあるのも素直な心情が現れていて良い。
NOGIROOMの最新回で、「それは放送”部”ではなくて放送”委員”では?」というくだりがあって、そういえば部活動のほかに委員会などというのも存在したのを思い出した。委員決めのときに居眠りしていたら勝手に飼育委員にされていて、当時は獣嫌いで犬や猫ですら苦手だった俺はたいそう憤慨したものだ。そんな俺ですら、問題児の後輩がニワトリの卵を割ってしまった代わりにピンポン球を小屋に置いて誤魔化した罪に対しては全身全霊で糾弾した。その後も一般的には重要とされる面接や商談などの局面でウトウトしてしまうのを繰り返すこと数十回、俺は人間として大事な何かが欠落している。
放送部や放送委員などに成ったことは一度も無いが、校内放送や昼食時・清掃時のBGMを司る人間に憧れを抱いていたのはハッキリと覚えているし、金八先生の加藤バリに勝手に放送室に立てこもっていた(遊びに行っていた)。部屋の雰囲気に憧れ、機材の意味などわからなくてもボタン・スイッチ類にワクワクしあの部屋が好きだった。フザけて放送禁止用語をマイクで言って校内に流す、友達の兄に教えてもらったXの紅を流す、などテンプレの行動は一通りやってそれなりに体罰は受けたと思う。そう、あの時代の体罰は酷かった。他の学年の担当だった暴力教師Hは今でも死ねば良いと思う。いやきっと既に死んでいるに違いない。
もう1つ特別な思い入れがあったのが音楽室だ。好きな子へのアプローチを間違えるのはあれから四半世紀が経った現在でも変わらないが、当時も用も無いのに明らかに先生目当てなのがバレバレで音楽室へ通っていた。ある日の休み時間、悪友Kと音楽室に行ったところ先生はいない。とりあえずイスにかけてある先生のジャージの匂いを嗅いだ。俺が言い出したのかKが言い出したのかは覚えていないが、テレビで見たDJのスクラッチってやつをやってみようぜ!と盛り上がる・・・
デュク! うおお!成った(鳴った)!
1、2回で満足して部屋をあとにするが、これが事件となる。スクラッチして良いようなレコードプレイヤーと針では無かったらしく、故障してしまったのだ。多分また結構な体罰を受けたと思うが確かKと一緒に名乗り出たはずだ。恐らく言うほどそこまで高価では無かったんだろう、引っ叩かれたりした程度で罪が許されるなら安いものだし、好きな先生に無料で引っ叩いてもらえるなんて、大人になったらアイドルにビンタしてもらうにはわざわざCDやイベント参加券を買って並んだりしなきゃいけないしSMクラブともなると高価なので小学生の俺が羨ましい。
小学生のときにDJとしての原体験があったなんてこれまで全く思い出さなかったのを、乃木坂ちゃんはいとも簡単に奥底に眠る記憶を呼び覚ましてくれるから本当に凄い・・・
その後DJ的なものへの憧れは封印されるどころか完全に忘れ去り、中学でギターキッズとなり、大学入学当初などはむしろDJやクラブ的なものを忌み嫌うところから始まったのだが、それはまた別のお話。
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