TRACKTOP PRINCESSというジャージ女子が出てくる漫画に出会った

TRACKTOP PRINCESSというジャージ女子が出てくる漫画に出会った

TRACKTOP PRINCESSという漫画に出会った。

tracktop princess

作者の壱号(惑星家)さん
Twitter: https://twitter.com/1_gou
Homepage: http://planethome.client.jp/
(サイトの行間をbrタグの連発でとってるところがもう・・・たまらん)

という方の絵がとても好みなだけでなく、ジャージ女子、ジャージそのもの、を愛していて、それが本編を読む前からPIXIVやツイートでびんびん伝わってきて、なんとかしてこの漫画を手に入れようという気にさせられた。

PIXIVにある、

TRACKTOP PRINCESS 0.99
ティア106 無料本 | 壱号
https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=40624587

これの、アディダスパフォーマンスの三本線ロゴのはダメで断固としてオリジナルスのトレフォイルのじゃなきゃ!っていうのとか、もう。

総集編「planethome 89-98」に収録されていたTRACKTOP PRINCESS本編では、暑くても常に「トラックトップ」(ジャージと言わないところが・・・泣)ジップ全閉にしている女の子が出てくる。

その理由も、男の子との関係も、Jamiroquaiが出てくるところも、全てがリバイバル完了って感じの現在より何歩も手前であり(当然Suchmos以前の文脈で)本当に染みるものがある。

このTRACKTOP PRINCESS :2.22は、また違った切り口で、古着屋とメルカリでジャージその他の服を売り買いしまくっている身としては「売らなければ良かった」「無茶してでも買っておけば良かった」を重ねてしまうような話だった。

この作品だけではなく全ての作品を通して、ネガティブな状況やマインドから変化が起き希望を見せてくれるような〆方で救われる。

当方 tracktop girl なんていうサイトをやっているので3次元のジャージ女子が好きなのは当然として、全然2次元もイケるのであった。

というか、物心ついた時からジャージって良いなと思いつつ、親に、幼稚園に、学校に、ジャージを着せられる側の女子は「なぜこんなダサく屈辱的な布をこの身に・・・」という被害者意識でいっぱいの人が大多数派だったわけだ。

少し前までは諸々の影響でファッションとしてジャージを着る人が出てきても多数派としては「ジャージはダサい」「所詮はジャージ」であり。

今日のように広く受け入れられむしろ女子中高生がノリで学校指定の体操着でプリクラを撮ったり写メをインスタに上げたりディズニーランドに乗り込んでしまうような日が来るとは20年前30年前は到底思えなかった。

そんな状況もあり、時代的にネット上のコンテンツの絶対数にも期待出来なかった俺の思春期は、ジャージの女の子が出てくるドラマ・漫画・アニメは無いかな、練習したら自分でも上手く描けるようになるかな、だった。絵は音楽以上に才能も無く努力もせずどうにもならなかった笑。

体育の時間も楽しみだった。夏はTRACKTOP PRINCESSのようにジップ全閉女子は現実には存在しないが、ブルマや水着があったので大丈夫だった。(何が大丈夫)

正直なところ、どんなに可愛く女の子を描ける漫画家先生でも、ジャージの描写は適当なことがほとんどだ(良いのあったら教えて・・・)。おおよそ「ダサいもの」「忌み嫌われるもの」そんな文脈で登場するアイテムであるため仕方ない。

もっと早く出会えてたらな、とも思うが、TRACKTOP PRINCESSに出会えて良かった。やり方や考え方は違っても、ジャージ女子を、ジャージを、単に萌えという記号に留めず作品を通して表現しようとする人が他にもいるんだなということを知ることが出来た。

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