Restructuring

営業マン時代
この写真の街にあった会社では営業をやっており、新規獲得が全然出来ずに、最終コンペまで残った大型案件も落とし、社長に肩をポンと叩かれて(リアル肩たたき!)「そろそろ潮どきやな?」と言われたことは多分一生忘れません笑。 その場で、「力になれずすみませんでした。辞めます」と言い、すぐに退職届を出しました。 本社が関西にあり、関西のメンバーから慰留の電話や「社長が言い過ぎて後悔しているみたい」などの話を聞きましたが、ポッキリ折れたというか真っ白になったというか。元々やる気なんてあったのか怪しいもんですが(www)。 私と時期を同じくして営業のリーダーも退職となり、1度は関西に行くのは断ったのですが、最後なので顔を出せとのことで本社に行き(本当に会社の金とみんなの時間の無駄だったと思う)、送別会を開いていただきました。 居酒屋につき、社長があんな感じで?営業のリーダーの肩にポンと手を置いた瞬間、「・・・ンの野郎」と立ち上がったのを、瞬間的にやべえと思ってなだめすかして部屋の外に連れ出しました。 こっちのほうがまるでドラマみたいで現実感が無く、忘れられないかもしれません。・・・とまあこんな会社でした笑。出社が苦痛だったのと、当時はランチで行く店もあまり良いところが無いように思えて(開拓する元気も無かった)、この街ごと嫌いになっていました。 営業のリーダーとサシで2次会~4次会くらいまですることになり笑、歳も近かったことから「もう先輩後輩無いんやからタメ口で話してくれや」との申し出。 こちらは非常にたどたどしいタメ口(笑)で語り合い、ガールズバーで「糸」を熱唱され、それっきりにはなりましたが気の良い大阪のにいちゃんて感じでした。リストラ
その後、少々長めの無職や断続的な無職を挟みつつ、怪しすぎるSEO会社に委託っぽい感じで在籍したり、非常におカタい会社のウェブ部門に派遣社員で在籍したりしました。 どちらもリアルに営業不振の理由で部署ごと無くなったり、クビになりました笑。本当にクビってあるんだね!と、まるでひとごとかのように思いました。 この、良い歳して一番ヤバい感じのときに、DJやバンドなどは一番やってたかもしれません。レコードも出しました。 俗に「バンドマン(笑)」「DJ(笑)」などと蔑称のムードが一般社会でもインターネットの世界でも蔓延しているように思えますが、私は全然笑えません。 でも無職とかヒモの奏でる音ってイイ音するんですよ!その辺のクズエピソードなら私のお腹の中で寝てるわよ。現職
望まれて正社員となった今の会社も、最初の印象は「カタい」で、アロハで行ったら役員に「その格好でお客様のとこ行かないでくれよ」と言われたり、短パンで出社したら女子社員に注意されたりと、苦難の連続(www)でした。 長く続くイメージがどうしても持てなかったのですが、もうちょっとで5年になります。 特別ブログに書きたいような不満なども無く、社長が「君の影響で、何もない日はポロシャツと七分丈くらいのパンツで良いかなと思った」と言ってきてゴルフでも行くんですか?みたいな服装で出社されたり笑、こんなクズに影響されるなんてとても柔軟で良い会社だと思います。 主義主張があってラフな服装で出社していたというより、激太りして着れる服がほとんど無くなってしまったというのが本当のところです!(紆余曲折あって去年の100kgから現在の80kgまで痩せられてよかった・・・色々着れる・・・)tracktop girlとカメラ
ジャージ女子のポートレートサイト「tracktop girl」、始めてから2年ほどは、カメラマンの方に依頼して撮影してもらっていました。 コロナ禍になり、最初は「仕方なく」自分で写真を撮るようになったのですが、ハマりました。嫌いだった街に再び訪れたのも、tracktop girlとカメラを始めたおかげでもあります。 昨年、古波蔵心杏さん

再構築
最初は、増上寺や東京タワー

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