【宿題】東洋経済オンライン – 自ら望んだ「在宅ひとり死」をやり遂げた人の実際

【宿題】東洋経済オンライン – 自ら望んだ「在宅ひとり死」をやり遂げた人の実際

東洋経済オンライン
自ら望んだ「在宅ひとり死」をやり遂げた人の実際
「最期まで気ままに暮らしたい」を支えた人たち

を読みました。「怖い」だとか「考えさせられる」なんて生ぬるいもんではなく、己にとって先送りしてはならない宿題だと捉えています。

食事や下の世話が自分で思うように出来なくなったら・・・と想像したとき、「他人が世話をして当然だ」とはどうしても思えず、苦しくなりますね。40年以上生きると色んな高齢者を間近で目の当たりにしますから、「このようには成りたくない」と思うケースもあります。どうやって生きても、どうやって死んでも、他人に迷惑を掛けないで済ませることはできないとはいえ。

婚活についての記事が予想外にたくさんの方に読まれているんですが、

【完】婚活

婚活する前の時点では、「もう1回恋愛してみたい」「パートナー欲しい」程度の認識だったところから、終えてみて、駒を先に進めなければなりません。「孤独死したくない!」でもなく、そうなることを前提に考えなければならない。

おそらく、女性でも男性でも私と同じような人間は少なくなく、これからも増えてゆくような気がします。20代、30代前半まではパートナー探しに苦労することはなかったが、その時と同じノリや戦略では立ち行かなくなった。マッチングアプリやコロナは、そんな人間が出会うための起死回生の機会のように語られることもあるが、実は強者がより富めるための機会に過ぎなかった・・・

30歳を過ぎたら・・・「女性は男性への希望年収ラインを下げろ」、「男性は女性への希望年齢を上げろ・希望ビジュアルレベルを下げろ」はまさに真理だとも思いました。その溝が全く埋まる感じがしません。私がそうであったように、え?結構妥協してるつもりなのに・・・と己の市場価値の低下スピードに、思考や言動が追いつかないのです。

・・・とにかく、そういう出会いが如何に不利か、不利になるように生きてきたかを、見聞きしたレベルでなく体感したのは何らかの糧にはしたいので、ブログに書けないことはコロナが落ち着いたら居酒屋でブチまけたい!笑、という感じです。(相手いたっけ)

「40歳まだまだこれからだよ」というありがたいお言葉を頂戴することもあり、成長を実感できる面もありますが、衰えに抗えない面もあります。これでも以前ほどネガティブ思考ではなくなったつもりでも、やはり 負 > 正、死 > 生 と意識が囚われがちなような気がします。

とある写真家が「日常なんて大したもんじゃない、つまらない。だから何とかして撮ってる」というようなことをおっしゃっていて、普通のようなことでいて自分にはとても突き刺さりました。「負」や「死」に囚われてしまうのは抗っても仕方ない、何らかの表現で日々を少しでも充実させよう。

でもカメラも、ギターも、この手に持てなくなる日が来るんですよね。こうやってキーボードを打てなくなる日が来る。「そうなったらその時だ」と思えて、スカっと言えるようになるまでもう少しかかりそうです。

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