劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンを観に行きました。仕事後に映像研を観て、間髪入れずに同じ映画館でヴァイオレット・エヴァーガーデン。
「アニメ版を観ていなくてもイケる」との怪情報を頼りに突撃。そして撃沈(嗚咽が漏れぬようにタオルを強めに当てる)。バットマンやロードオブザリングを前情報ナシで完結編だけ観に行くような男闘呼なので、きっと大丈夫。
乃木坂46の松村沙友里さん、ウェザーニュースLiVEの檜山沙耶さん、あなた達のせいですよ・・・ちなみに、観た後日、さやっち(檜山沙耶さん)のこの動画でも泣きました。
松村さん、檜山さん、この映画を教えてくれてありがとう。また、最近 nippper という模型狂のサイトを知ったのですが、プラモにほとんど興味無い私でも楽しめて、純粋に楽しむということはどういうことか、それとプロフェッショナルを同居させるとはどういうことかを教えてくれて、ありがとう。オタク特有の早口で感情を爆発させるしかない私のヴァイオレット・エヴァーガーデン評を「うんうん」「観に行ってみようかな」と聞いてくれた友人たち、ありがとう。そして昔から京アニの素晴らしさを噛みしめ、説いていた山田ワープ、ありがとう。1人1人に対してまだまだ感謝を伝えきることが出来ていません。この映画を通して、多くの存在に自分は支えられ、生かされているのだということを再認識しました。
映画では「手紙」が重要なファクターの1つとなっていました。電信、電話の普及によって、淘汰されてしまった技術や職業はあるかもしれない。でも、こんな時代だからこそ手書きの手紙が特別な力を持つこともあるし、それはヴァイオレット・エヴァーガーデンの世界・時代から、今も変わらない。一方で、私は離れましたが、SNSや先端技術だからこそ持つ力というのも確実に存在すると思います。
手紙は面倒臭い。紙、封筒、切手、筆記具、それらを用意するのにもコストや時間がかかる。今じゃ、何かを手書きで書く、という習慣がほぼ無くなっている人も多いでしょう。また手紙が人の手から人の手へ渡る間にも幾つものプロセス・工程を経なければならない。でも、そんなに手間のかかっているものが、大昔であっても速ければ数日で遠方の人に手紙が届いていたって、なんて素晴らしいことなんだろうって思いませんか。誤配や紛失、住所や宛名ミスによる不達もそこまで少なくない確率であったでしょう。だからこそ1通の手紙が重たい。
世界や人間同士を分断しようとする力は今なお色んなところに働いていますが、ヴァイオレット・エヴァーガーデンの世界や時代においても、それを乗り越えようとしてきた人たちのおかげで今があります。今は格安航空券や、より発展した通信技術などを用いて、その分断に対して愛と、昔と比べてもより大きな余裕を持って立ち向かうことが出来るのではないかと思うのです。我々は本当に制限されているのでしょうか、自ら足枷をはめてはいないでしょうか。
何か大きなビジネスで成功する、何百万人の頂点に立つ、などの大層な夢でなくても良い。想いを貫く、ひたすら動く、そのことの大切さを再認識させてくれました。そして、自分には感謝の気持ちがまだまだ足りない。これを教えてくれたヴァイオレット・エヴァーガーデン、ありがとう。
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