osicomagazine vol.1 October, 2016
https://osicoman.stores.jp/items/5806624c10031514d4005dc4
読了。
osicomagazine
https://osicomagazine.com/
は、インターネットのアイコンも本体もカワイイおしこまんという男が
“毎日をちょっとよいものにするためのウェブマガジンです。”
と謳っているように、グリーンスムージーやメイソンジャーサラダの王道レシピにちょっぴり捻りを加えたものが載ってそうな無料のウェブマガジンだ。実際は載ってない。
osicomagazine vol.1 October, 2016
https://osicoman.stores.jp/items/5806624c10031514d4005dc4
はそれの紙バージョン。インターネット ヤミ市で出品するとのことで気になっていたのだが日程的に折り合いがつかずネット販売を待った。ちなみに以前開催されたインターネット ヤミ市は奇遇なことに俺のほぼ地元で行われており、徒歩で立ち寄ったところ怪しげな笑顔で「山梨に来てください!」と売り込みをかけられたので闇市って怖いところなんだなと思った。
紙のosicomagazineが家に届いたとき、包みの裏に彼からのメッセージが。俺も彼も恥ずかしいためその内容は伏せておくが、以前俺が彼に偉そうにアドバイスしたことへのアンサーの一部がそのメッセージであり、アンサーの一部がosicomagazineでもあるという。開封前から胸を熱くさせてくれる。そしてその包みはボケの始まっている両親のどちらかに開封されそうになっていたことも記しておく。乃木坂46関連のグッズの開封と頻発する俺への間違い電話は、既に緊張を伴う深刻な問題に発展している。
ちなみにその偉そうなアドバイス、俺自身はとうの昔にもう誰からも言われなくなった。ほんの数名からの「良かった」という大変ありがたい声と、自分自身やりたいから音楽を続けている。まあまあ良いけど気難しそうな人だから気軽に良かったなどと声を掛けるのはやめておこうと言うあなたは正解。俺、そしてプレステージ加藤のことを良くわかってる。褒められないまま、何かを成せぬままおじさんになるとそういう可哀想な生物になってしまうのだ。そしておじさんは全く褒められなくなると死ぬ。
ウェブのosicomagazineが始まる直前くらいに、おしこまんを含む何人かと飲んだような気がする。気がするというのは、何かを始めようとする人間がいると表面上は良いな!応援する!と言っても内心はその自信やアクセルの踏みこみっぷりに嫉妬し、希望に満ちやがって!性の悦びを知りやがって!と記憶を封じ込めてしまうからだ。「音楽が好きなどと言いながら何も出来てない俺は本当は音楽など好きじゃないんではないか?良い歳して何をどうでも良いことで悩んでるんだ?山は死にますか?」などと枕を濡らすことさえある。
無責任に、紙のosicomagazineを買って読もう!みたいなことはしたくない。おしこまん的に読もうがどうしようが買ってくれればそれで良いやみたいなのがあったとしたら営業妨害をして申し訳ないのだが、俺は乃木坂46のCDをカップリング曲やMVのコンプリートのために(そしてちょっとの握手券のために)沢山買っても聴いてくれる人以外には渡さない主義だ。
おしこまん 「とにかくパーティーを続けよう」
https://osicomagazine.com/osicoman/tonipar/
をまずは読んでみて欲しい。
vol.1 Hello world! (2014年1月1日)
vol.2 継続と Web について (2014年6月30日)
この時点で、家入一真さんの名著
「さよならインターネット – まもなく消えるその「輪郭」について」
と似たような問題提起が為されている。SNSや「インターネット的なもの」の一部に辟易しながらもosicomagazineというウェブ媒体であり独自の媒介を通じてコミュニケーションを図ろうという試みは、単なる自己矛盾ではなく、苦悩を孕んだ誠実そのものである。そして冷笑的な空気を感じなくもなかったクラウドファンディングを、家入さんは自身のサービスCAMPFIREを通じて既に変えつつあると思う。
これから世界の人々、特に日本人が嫌でも向き合わなければならない問題でもある。人はとかく自身が影響を及ぼさないであろう問題や話題に興味関心を持ち時間の多くを費やす。そしてそんなことやそもそもは自分の言葉ですらない何かが火種となってケンカまでする始末だ。人生を豊かにしたいなら、微力でも良いから自身が周囲、社会に対して影響を与えられることに多くの時間を注ぎ、その比率が多いのが望ましい。こんな堅苦しい感じでなくとも、おしこまんもそれを体現してみようと思った人間の1人なのではないかな。
紙のosicomagazineで、L’Arc-en-Cielについてのアツいレビューがメインの扱いだったのが嬉しかった。矢沢永吉、尾崎豊同様にそのビジュアルやキャラクター性が多く取り沙汰され、高い音楽性の評価や認知が二の次になっている存在だと思うからだ。このグループはどんなカテゴリ・ジャンルに入れられようとも埋もれることのないメロディーメーカー集団であるとも思う。ラルクの各アルバムについてかなり熱の入った識者のレビューが揃っているので紙面に触れて欲しい。
俺自身は「インターネットが~」と声高に言うほどディープな何かを知っていたり技術があるわけでもないけど、家入さんのさよならインターネットに書いてある多くのことに唸らざるを得なかったし、インターネットやSNSの恩恵を受ければ受けるほど、ネットやデータでは無いところで感謝やお祝いを伝えたり何か行動を起こさなければならないような焦りにも似た何かに駆られる。
どうせ俺は儲かっているわけでも流行に乗れているわけでもないので、カセットテーブブームが~ アナログレコードブームが~ とは別軸、いや外から見たら同じ穴のムジナだったとしても特にそういったニュースを積極的に意識はせずに行動しようと考えている。知らず知らずのうちに影響は受けているかもしれないけど。
つい最近、「レコードを出した後にどんどん曲を出していれば売れた。失速したよね」と言われたことがあって、珍しく対面でこういうことを言われたなと思った。ほんとにそうか?というのと、申し訳ないが売れている人のほとんどが、過去作に似たような曲を量産しているなというイメージがあって、ブランドイメージの定着化かなんか知らんがそうなるくらいなら音楽を辞める方を選ぶ。曲をハイペースで作り続ける才能が無いのも事実。正直、好きなアイドルグループにだってそういう不満はある。なぜ似たような曲を何作も出す。真剣に曲を作ったり分析したことのある人間ならわかる話だと思う。ムカつくのは、結果似てしまった、どうしてもそういう味になってしまう、というならむしろ凄いレベルだなと思うんだが、明らかに成功例と似たようなものを作って最大の効果を得ようとしている意図が見えることだ。(メシを食うため、というのはわかる。わかるけど・・・)音楽を聴かされているのかパズルを見せられているのかわからなくなる。そんな感じでおしこまんも、自己目的化したくないんじゃないか。
何年か前におしこまんにもらった年賀状のことを思い出す。「トーニャさんがこう来たならば自分はこう行こうかな、と考えたりする」というようなことを書いてもらった。SNSで言うにはちょっと恥ずかしいことかもしれないが、わざわざハガキで書いてもらうと受け手は嬉しい。彼とは良く対面で会っているわけでもなく下手したら年に1、2度くらい飲みの席で会うくらいのものだが、ツイートをチェックしたり、考えが似ているな、ここは大きく違うななどとお互いに意識することがある、良い距離感を持っていると思う。
距離感は難しい。トーニャハーディングとしての相方プレステージ加藤とも、ゆけむりDJsのメンバーとも、俺はずっと一緒にいることは出来ない。彼らも俺と1週間旅行で同じ部屋だったら気が狂うと思う。女性との交際も最長1年半から2年以内くらいしか(この辺が既にいい加減)続いたことが無いが、それでも彼らとは3年以上、加藤とは付き合いだけでいえばもう15年以上になる。
加藤やゆけむりDJsのような存在をいくつも近くに置いておくことは出来ない。時間含めたリソースには限りがあるからだ。本人たちはうんざりかもしれないが笑、彼らとぶつかって何かを生み出そうとするだけで実際に目に見える形で生み出せたものが極小でも予想外の大きさの成果でも、俺は人生の多くを突っ込んでいる。
一方で、そこまでではなくとも、緩やかなつながり、付き合いというものの大切さやありがたみもいい加減身に沁みてわかってきた。お互いに都合のいい存在でも良い。これまでも、これからも一歩踏み込むことはないかもしれない。でも随分自分はそんな存在に甘えて助けられてきたのだと思う。それがおしこまんのような存在であり、osicomagazineのような存在かもしれない。常日頃、先頭に立って読め!買え!ということは出来ないかもしれないけど、ウェブも、紙も更新して欲しいという勝手なファンの願い。
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