広末世代が20年経って広末涼子写真集を読んだ Happy 20th Birthday

広末世代が20年経って広末涼子写真集を読んだ Happy 20th Birthday

くんにちは。広末、松坂、朝青龍、優香世代のトーニャハーディングです。広末涼子さんの誕生日は7月18日なので、ほぼ同じ私は実質広末涼子です。

広末涼子

これまた同い年の、この人が撮った写真を街中で広告で1度も目にしたことが無い人はいないであろう、カメラマンさんがYoutubeで、藤代冥砂さんの撮ったこの広末の写真集を取り上げていたので、メルカリで買ったら状態の良いアタリを引くことが出来ました。

本人の巻末インタビューとかだけじゃなくて、おっさん関係者達の長文がところどころに挿入されているあたりが、時代を感じさせ、POPEYEを感じさせます。今なら「おっさんキモ・・・」となるわけですね。わかる(必死で若い世代に迎合)。

そもそも表紙上部の情報量とフォントの種類が多い。

POPEYE特別編集広末涼子写真集撮影藤代冥砂
Happy 20th Birthday ヒロスエ、ハタチ。定価680yen MAGAZINE HOUSE MOOK

・・・紙面には「引っ越しをしてダンボール箱をガサガサとやってたら・・・」から始まる文章なんかもあったりして、食べログ文学かと思ってしまいました。それならば私も簡単に写真集の感想を書くわけにはいかない。

このブログの冒頭のように、よく「広末、松坂、朝青龍、田臥世代です」なんて自己紹介をし、「お・・・おう」という反応をいただくのですが、これを機に1980年生まれの有名人を検索してみると、あれですね。才能無い人間こそがこういう検索をして勝手に落ち込んでしまうのだなと。

■モテキ
野波麻帆

■池袋ウエストゲートパーク
酒井若菜

■オンラインサロン
西野亮廣

■EXILE
ATSUSHI

■ジョイマン
高木晋哉

■I am GOD’S CHILD
鬼束ちひろ

■くまきり
あさ美

■頑張って欲しい
嘉門洋子、中山功太(本当に返り咲いて欲しい)

・・・1980年生まれ、まだまだいます。ヌーブラヤッホーで一世を風靡したモエヤンの池辺愛ちゃんとか学生時代に一緒にスタジオ入ったこととかあります。

急遽代打DJとして高知県のイベントの数日前にオファーをいただいて快諾したことがあったのですが、無職は強し。今は今でまともな人間の皮をかぶれば有給休暇という大変ありがたいものがいただけるので、行けるっちゃ行けるんですが。

そのDJをさせてもらった会場が広末のご実家のすぐ近くだったので、お客さんに「ここ広末の実家ですよ」と教えてもらったんです。DJとして、人間としてアレな奴でも、高知で大変美味しいご馳走を振舞っていただいて、同い年の広末の実家を拝むことぐらいは出来るんだぞ!と、その時心の中でガッツポーズをしたとても可哀想な自分のことを今凄いハッキリと思い出しました。完全に心の中でガッツポーズしてました。代打DJなのに。まあ許してあげましょう。

高知のオーガナイザーの方があまりに素敵な方だったので、その後、乃木坂46のアンダーライブで四国に行った際に、確か高知の公演は無かったんだけど高知に寄りました。四国の広さナメてて移動で泣きそうでした。オーガナイザーの方は酩酊していてDJしませんでした笑。穏やかなのにお酒と音楽が大好きで、メシが美味くて、高知の人たち最高、そんな記憶しかありません。

関係無いんですけど、アンダーライブを徳島の鳴門で日曜の飛行機無くなる時間までやるって最高にロックですよね。宿もあんまり無いんですよ。月曜の早朝の飛行機で出社しましたけど。九州も最高だったな。乃木坂って地方でそういうこと散々させてくれたから、1年や2年ライブに行けなくてもあんまり不満は無いんですよね。感謝しかない。

広末

20年経って尚、「唯一無二の顔面だな」って思います。14歳くらいのときかな?ヤンジャンかヤンマガの表紙に出てきて「唯一無二の顔面だな」って思ったんです。それで、とにかく可愛かった。更に、曲はシングルだけじゃなくてアルバムも最高だったりするんですよね。

この写真集を出したあとあたりから、大学にはお金持ちの人が沢山いたので、六本木で広末を見かけた、時を経たとは言えこんな辺境ブログとは言え書くことが憚られるような広末を代々木の路上で見かけた、のような、そもそもリア充でないとそういう土地に縁がありませんので目撃も難しいとは思うのですが、そんな話を直接耳にする機会もしばしばありました。ちなみに私は若い時にクラブでいしだ壱成しか見たことがありません。

だから何だ、おっさんどもの文章がチラつくから何だ、というくらいには 広末涼子 meets 藤代冥砂 のこの写真集は素晴らしかった。特に携帯アプリかよと言いたくなるくらいのレタッチがキツい最近の写真集に辟易し月に何万円も使ってるかと思うと悲しくなってくる今日この頃で、ドンピシャのタイミングで心を打たれ、勉強にもなるというレベル。

無垢なようでいて性的であるし、ほぼ広末の表情や顔面が無いのにハッとさせられるカット、モデル・カメラマン・スタッフの信頼関係が無ければ撮れないなぁ・・・というようなカット。動きを演出するためのコマ割り。可愛い女の子を撮る、女の子を可愛く撮る、その掛け算・・・

正直、そこまでの高級ホテル、最高に綺麗な海、などのお膳立てが無くても、このメンバーであれば最高の写真集を作ることができると思います。少なくとも、機材、ピント、そういう事じゃないんだなと思わされ、でも急に高精細の何かが瞳に飛び込んでくる気付き。

藤代冥砂さん、それを推した有名カメラマンさん、そして広末も、写真集に長文を書いたおっさん達もみんな自分のことが大好きで、そもそも雑魚で接点が無いという話はさておき私のような人間とは相容れない、きっと私が好きになることは出来ない人たちではありますが、それと「作品」とはまた別のお話、と考えます。

長文も長文で、あまりアレルギー全開にすることなく目を向けてみると、2021年の今となっては童貞臭ともとれるようなワード・センテンスが散りばめられており、もしかしたら彼らも私と同じように可愛い女の子が大好きで、純粋に彼女たちと良い作品を創りたいというような気持ちもあったのではないか?と簡単に騙されそうになります。(騙されそうになる、としておく)

この20年で失われたもの、常に批判や嘲笑を意識しなければならない、なんでも相対化する、なんでもメタになる、説明や注釈・エクスキューズが増えてしまいがち、そんなことも考えざるを得ませんでした。

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