40年以上前の映画「阿寒に果つ」、衝撃を受けました。VHSもプレミアが付いてしまっていて簡単には拝めないかもしれませんが、チャンスがあれば観て欲しい1本です・・・(特にこのブログを読んでくれるような稀有な人は・・・)
縁あって、日本シナリオ作家協会が主催する「脚本で見る日本映画史 ~名作からカルトまで~ 第四弾」にお邪魔し、
・「阿寒に果つ」1974年
・うちの子にかぎって・・・ 2 第9話「転校少女にナニが起こったか?」 1985年
の2本を観てきました。
日本シナリオ作家協会オフィシャルサイト: http://www.j-writersguild.org/entry-info.html?id=276052
Mogmogが繋いだ縁
9年半前、このフリーペーパーMogmogを手にしました。編集長の西原伸也さんは凄い勢いと熱量で何を言っているんだろう・・・と意味不明で、正直、Mogmogのジャージ女子の表紙も内容もファンになってコンタクトを取った身の私でさえ「うちの子にかぎって」について強く興味関心を喚起されることもなく時が経ちました。
でも、何年経っても西原さんは「やっぱり “うちの子にかぎって2の9話” なんですよ」と、ことあるたびに発言するので、流石にこれは何かあるな?と思うようになります。
大抵はハシカ的ブームで殆どの人間の「これがアツいんだよ」「最高」みたいなものは長くても数ヶ月から数年で無かったことにされて、何故か口に出すのも恥ずかしくなって、そして忘却の彼方に。今では多店舗展開しまくっているようなタピオカ屋に全く並ばずに入れたりします。
西原さんは「うちの子にかぎって」ずっと言ってるんですね。私だってアラフォーのおじさんの中では女子高生とタピオカについてかなり語れると思います。会社にUBER EATS呼んだの社長にいじられる程です。そして女子高生はこういうおじさんが大嫌いです。
兎にも角にも機は熟し、冒頭に述べたようにこの2本を恐らくそれなりの画面で上映するということで、しかも、「うちの子にかぎって」は「阿寒に果つ」のオマージュを含むとのことなので、これは観るしかない!となりました。
ヒロイン危険度ランキング
時任純子(阿寒に果つ)
↑
木下黎(うちの子にかぎって)
↑
松尾みゆき(映画版モテキ)
↑
掟上今日子(ドラマ掟上今日子の備忘録)
↑
高木さん(アニメからかい上手の高木さん)
男を振り回す話は沢山ありますが、私を涙させ心をかき乱すヒロインたちの危険度ランキング最上位に位置する存在が爆誕しました。それも45年前の映画でそのヒロイン像は完成されていたのです。そして五十嵐じゅん演じる純子が全場面いちいち美し過ぎる。(一番好きなのは高木さん。何度も繰り返し見て泣いてる。)
■時任純子(阿寒に果つ)
女子高生、絵の天才。学校休みがち。酒、タバコ、クラブ、男、女、なんでもやる無双。調子こいて酒飲むレベルではなく、1人で狭い居酒屋のカウンターにも座る。良くわからないけど、美大生はどうにかしてこの映画を観た方が良い気がする。
■木下黎(うちの子にかぎって)
小学生、北海道から吉祥寺に転校してきて即クラスのマドンナに。男子より先に大きく背が伸びるタイプの美人さん、そしてそれに自覚的。同級生の少年に気があるのか弄んでるだけなのか際どいラインを攻めてくる天才型ストライカー。
■松尾みゆき(モテキ映画版)
雑誌「EYESCREAM」編集。個人的には買ったりしてたくらい好きだけど、何故かモテキ上映中に場内で小笑いが起きる、みゆき「EYESCREAMの・・・」発言。これがサブカルパラドックスか。ツイッターのDMで主人公と知り合い意気投合、主人公は顔も性別すらも知らないまま下北沢のビレバンの前で待ち合わせしたら来たのが長澤まさみ(が役をやっている松尾)という、映画の冒頭でクライマックス。
■掟上今日子(ドラマ掟上今日子の備忘録)
寝ると記憶がリセットされてしまうので、その日のうちに解決する依頼しか受けない(なんとしても解決する)探偵・掟上今日子。かつてこんなブログを書きましたが
結局Blu-ray BOX買った。泣いた。
■高木さん(アニメからかい上手の高木さん)
おじさんにも枯れることのない涙があると教えてくれた最強ヒロイン。隣の席の西方をあの手この手でからかい、勝負ごとにはほぼ全勝する。1期で充分素晴らしかったのに、2期は中学生のプラトニックなやり取りのあれこれを観ながら号泣するハメに。「林間学校」「お土産」「約束」「夏祭り」は無限ループ。永久保存版。
絶望 vs 希望
阿寒に果つ脚本家の石森先生は上映後のトークで「数学が出来ない脚本家は本物にはなれない」(≒全てが緻密な計算の元で積み上げられている)とおっしゃっており凄まじい迫力と説得力を放っておられました。
その石森先生が、早熟過ぎる絵の天才・純子が男たちに絶望して自殺することに納得のいく理由・機微が男との会話に込められているのに、全カットされて山の風景などの尺が盛られ過ぎている、とおかんむり(当時は本当に鬼神の如く憤慨したことでしょう笑)のようでした。
自分の解釈では、そういった山の美しさなども監督やカメラマンの強いこだわりだったのではないかと。そもそも純子は我々の理解の及ぶレベルでの絶望や、「男なんてバカばっかりだし凹んだから死のう」という理由がメインでわざわざ阿寒まで行って死を選んだのだろうか・・・というところです。死はどうしようもなく単なる死で、死んだらそれでおしまいなのですが、それすらも込みで彼女の芸術表現だったのではないか・・・とすら思えてしまいました。
というのも、絵画の師匠であり、肉体関係も結んだ先生をあっさり切り捨てながら(泣&笑)、死の間際には顔を見せに行き、「また会ってくれる?」と言って別れます。
また、純愛+αで終わってしまった同級生の少年の家にはアクセサリを戻しに行きます。
そして、最後に出会った男、 殿村知之(元活動家→除雪車作業員→闇医者 役:地井武男、という令和元年もビックリの数え役満キャラ)の闇医者がバレて逮捕されたあと刑務所を訪ね「身体に気を付けてね」と声を掛ける。
私の記憶が確かならば、「身体に気を付けてね」、おばあちゃんぐらいにしか言われたことない。いろんな男や実の姉とまで関係を持ち姉の男も寝盗る一方で同級生とは甘酸っぱい展開も楽しむような人間。(こう書くと笑えてくるけど、姉妹のシーン、事件発生後の流れも大変素晴らしいです)
昔も今も変わらず「性に奔放過ぎる」「身勝手」だと断じられるのは仕方ないとして、でもそんな人間にしか持ち得ない視点や優しさ、愛のようなものがあるのではないかと信じたくなるほどでした。
優しい言葉をかけてくれた相手がその後行方知れずになって数カ月後に死んだとわかったら、それはそれで一生トラウマものだとは思います。が、自分のことしか考えないような人間がそれぞれ豪雪で激しく厳しい道のりを経て相手の元へ行きせめてもの言葉をかけるでしょうか。私なんて関係は様々ですが謝罪でも捨てゼリフでもだけマシで、ドタキャンされてそのまま音信不通なんてことがここ数年の間でも結構ありました笑。
・・・と言いつつ、やはり世間一般や自分を求める男たちとは如何ともし難い断絶があったのは事実だと思います。でもそれを劇中で、絵画の白と本当の雪山の白の違い云々で実際に自然に触れることを好んだりだとか、酒や煙草をあおったりの繰り返されるシーケンス、ファンクミュージックのレコードに熱狂して踊る酒場のモッシュに突入していったり・・・
良いとも悪いとも言えない、ただ映像の受け手としては美しさを見い出さざるを得ない色々な何かが、彼女にとってはすべて空虚なだけのものだった、などとは思いたくない。
タバコを吸う女性は見るのも苦手ですが、純子には覆されます。そして、45年前の札幌に、あんなクラブシーンあったの!?曲も良いし(なんかブラジリアンファンクのような、ゴールデンカップスの激しめのファンキーチューンのような・・・)、みんな踊りまくってて最高。
そのようなカットの数々、札幌の町並み、比較対象として出てきた東京・銀座には山野楽器や銀座三越が見え、そしてデートで手に持っていたのはマクドナルドの紙カップ?・・・この映画の美しさ全般もそうですが、細かいこと以外のほとんどはもう完成されているように感じてしまい、この50年、日本は本当に進化したと言えるのだろうか・・・そんなことまで頭を巡ってしまいました。
西原節の源流「うちの子にかぎって」
「うちの子にかぎって」は小学生のお話なので、オマージュがあるとはいえ「阿寒に果つ」ほど直接的に過激な表現は無い・・・と思いきや凄いシーンがありました。2人きりの理科実験室で、試験管を割ってケガしてしまったヒロイン木下黎(きのしたれい)が、「同じ傷つくって・・・」と少年に迫るのです。ヤバ過ぎる。そして男を上げた少年の指を咥える黎。死ぬ。
先ほどの石森先生と、本作脚本の伴一彦先生は師弟関係とのことで、伴さんがどこまで計算して作られたかはわかりませんが、このシーンでいわゆる流行の恋愛ドラマ何百本よりも濃密かつスリリングな性表現が成り立っているように思えてしまいました。恋愛は、人間は、「妊娠した」「別れた」「死んだ」じゃあ無いんだよ・・・
「北海道」「雪」「赤(血)」などが2つの作品を繋ぐキーワードになっており、この2作品を続けて観られたことのなんたる贅沢さよ、これは拙くても勢いだけでも良いから何か文字を残しておいて、誰かに伝わればそれはそれで嬉しいけれど、何よりもまたこの2作品を必ず見る、そのためにも書こう、と思ったのでした。
この転校生のお話は、夢なのか現実なのかというようなところや、こんな可愛い子が僕なんかを・・・的ストーリーの古典として語り継がれるべきです。そして、これがMogmog編集長・西原伸也の源流であることに合点がいきました。モテキよりもあまく刹那い、そして危険な香り。
私にも恋愛と呼べるものをした経験があるような気がしますが、結局はこのドラマのように夢なのか現実なのかわからない。2人に心の繋がりがあったのかなんてわからないし今となってはそんな事を考えても意味は無い。「あれ楽しかったな、あの場所良かったな」と折に触れて思い出しでもできれば万々歳。そんな人間ばかりではなく恋人の関係を解消したあとも両者にリスペクトが残り友人となるケースだって世の中にはあると思います。
ただ、 男女の別れ=一生の別れ それを虚しく思いつつ自分にはそれが当たり前だと思うからこそ、ドラマやアニメの美しすぎる描写や残酷な別れに感情の全てを託してしまうような気がします。
両想いだったのに・・・という意味では「秒速5センチメートル」はとても心に来るものがありました。「君の名は。」などより完全に自分向きでした笑。
枯れ木に花を咲かせる高木さん
「こういうほのぼの等身の絵で日常系?っぽいアニメ苦手なんだよな~」
それはすぐに覆された。 高木さん(CV: 高橋李依)の落ち着いたトーンの声が少し大人びた感じを強調して絶妙だし、結構な頻度で変わるEDのJPOP名曲カバー BY 高木さん(CV: 高橋李依)。選曲がイイ!そして、「好意ゆえのからかい」しか存在しない、つまりからかわれている男子・西片はまだお子様でちょっぴりおバカ(でも西片もかわいいし笑、優しいから泣ける)だからその好意になかなか気付かないけれど、視聴者は安心して見られるわけです。
それまでも、ジリジリと焦らしを伴いながら縮まる2人の距離や高木さんの積極性などに拳を握ったり涙したことはありましたが、2期の第7話「林間学校」で衝撃を受け、心の底から感動し止まらぬ涙、何度も何度もラストシーンを繰り返し、Netflixで勝手に次の話に飛ばないように操作し、見ているのです。
林間学校で消灯後、星空の下出くわす2人。見回りの先生に見つからぬよう岩陰に隠れる。
~ピアノBGM~
西片「高木さん・・・なんてお願いしたの?」
高木「西片と一緒に星が見たいなぁって」
赤面の西片「んへぇ!?(まったく・・・どうせ、またからかってるんだ)」
高木「天の川・・・七夕だね」
西片「うん」
高木「西片はあの川を渡ってこっちに来てよ」
中略
西片「どういうこと?」
高木「ふふふ」
~中島美嘉「STARS」カバー&スタッフロール~
高木さんの星が見たい、織姫発言で悶絶して泣いていたところ、追い打ちのSTARS!!!!!
正直、中島美嘉の歌い方が引っかかってこれまであんまりちゃんと聴いたことなかったのに、このカバーで号泣してしまいました。これまた単独でも素晴らしいピアノBGMとキー合わせとるやんけ!!!泣。星空の美しさ、ドン臭い西片相手でも(だからこそ?)グイグイいっちゃう高木さん、BGM→STARSへの繋ぎ、全てが完璧過ぎてもう・・・
改めて原曲を聴き、冨田ラボのお家芸とも言える & テイストはMISIA「Everything」にも通ずる緻密な編曲・コード進行に唸り、すぐにギターを手にしてコードを取り始めた深夜2時。アニメに心だけでなく身体までも支配されてしまったのは生まれて初めてのことです。
その後、親と旅行の日程でケンカしてまでお祭りに誘って欲しかった高木さん、高木さんの粘り強いアシストにようやくお祭りを誘う西片、花火のシーンなど見どころ泣きどころは沢山ありましたが、やっぱり自分の中では林間学校です。
先ほど、
男女の別れ=一生の別れ それを虚しく思いつつ自分にはそれが当たり前だと思うからこそ、ドラマやアニメの美しすぎる描写や残酷な別れに感情の全てを託してしまう
と書いた通り、いやそれ以前に私は特に思春期にはまともな恋愛をしてませんから、拳を握って西片に檄を飛ばすわけです。しかもなかなか勇気を出せない西片に対して本当に「なんだよ!」と声に出してテレビ越しにつっこんでしまう病状。これがアニメの正しい鑑賞スタイルなのでしょうか。
でも、なんだか、おじさんだからここまで爽やかには絶対できないけど、また誰かを好きになってみたいなぁと忘れかけていた気持ちが蘇ってきました。ありがとう。
振り回し系ラブストーリー
ということで「阿寒に果つ」、うちの子にかぎって・・・ 2 第9話「転校少女にナニが起こったか?」、「掟上今日子の備忘録 」、「からかい上手の高木さん」は(モテキはまあみんな見てるよね)、必修科目にしたいぐらいです。全てを見るのは色んな意味で非常にハードル高いと思いますが笑
「振り回し系ラブストーリー」なんて書いてますが、勝手でダメな男目線というだけで、客観的に見たら悪質な犯罪でない限りどっちが100%悪いなんてことはまず無いわけです。
例えば「阿寒に果つ」の原作は私も読まなくてはいけなくて、これは彼女と関係のあった人間それぞれの視点の語りがあるということなんです。となると、人によって随分と見え方は変わってくるだろうし、その辺りが恐ろしくも楽しみでもあります。
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