情報の呼吸法 (アイデアインク)
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メルマガ vol.17 年末年始合併号
(津田大介の「メディアの現場」)
の方がボリュームあるんでないの・・・?
ってぐらいスーっと読めた。
純粋な分量の他に、トークの際も
ブツ切れにならないように留意している
という津田さんの構成力や”繋ぎ”の
妙も生きているのかもしれない。
メルマガは雑誌的で、少なからず話は
飛ぶからね。それに対して本書の
テーマは大筋で一貫している。
啓発本ではないとご本人はおっしゃっているが、
ファシリテーションやアウトプットについての
こだわり、メモの仕方にはじまるハックな
部分など、ビジネス書としての性格を多分に
兼ね備えていて、俺としては良い意味で
啓発の領域にも踏み込んだ良書だと思っている。
「~~すればツイッターヒーロー!」
「ツイッター有名人になるための5364の方法」
なんてことは全然出てこないのでご安心を。
ソーシャルキャピタルについて改めて
強調されていて、本書でも触れられている
「ツイッターノミクス / タラハント」
ツイッターノミクス TwitterNomics
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に詳しいのだけれど、ツイッターの力、
ソーシャルメディアの力、そして人の
善意を信じる津田さんならではなのかなと。
ソーシャルキャピタルとは、人間関係の資本、
信用残高のことだ。
リアルでもソーシャルでも無料化された
情報の領域は増すばかり。
(意識して過ごさないとそうなりがちだが)
受け取る側ばかりに居続けると、その情報が
生み出され流通されるためのコスト
(時間、リソース)に気を払わなくなり、
お金には変えられない信用残高や
影響力のようなものが底をつく、
マイナスになる、ということだ。
逆に、情報感度を高め有用にシェアする
行為を意識無意識的に行う人間には
信用残高が増していき、影響力を
持つようになってゆくと。
以上は改めて説明するまでもないが、
俺が大事だと思うのは情報そのものの
価値や創出コストについてだ。
前に勤めていた会社が良い例だ。
話をスッ飛ばすが、「地図は無料のもの」
という概念が広まってしまったことで
ある会社は傾き、ある事業は潰れた。
地図作るのって本当に大変なんだよ。
紙地図でも電子地図でも。
群衆の心理は
「でもタダだから」・・・
この変遷はGoogleのビジネスや”FREE”戦略
について何らか耳にしたことがある人や
意識的な人にとっては常識であるが、
テクノロジーやマーケティングの進歩
によって、衰退し困窮する者も自ずと
出てくるのである。
また、人々を繋ぐツールと言われる
ソーシャルメディア(運営会社)同士でも
激しいパイの取り合いが行われているという
見方もできる。
俺はこういったことに無自覚でネットに
興じることは恥ずべきだと思っている。
多くの場合、使っているのではなくて
使わされているのであるし、無料で場を
与えてもらっている(その裏にはどんな
仕掛けやマーケティングがあるのか)と
考えるべきではないのか。
(”マーケティング”という言葉が嫌いな人が
周りに結構いるようだけれど、それなしでは
あなたの生活は成り立たないし、無意識的に
あなたもマーケティングを利用しているという
ことがほとんど。ただの言葉でしかない。
言葉の本当の意味が知りたいなら勉強すれば良い。)
そして与えられているままでいいのか。
一時期ブログでずっとギブアンドテイクに
ついて書いていた気がする。
「どこまでギブすればテイクできるんだろう」
(という意識がそもそもテイク寄りなんだけど)
そういった思いに囚われてしまっていた
時期があって、とても苦しかったのを覚えてる。
そして無邪気に、無神経に「くれ、くれ」と
テイクの言動を解放している人間を疎んだ。
GDPが低かろうが失業率がバカ高かろうが
“不足感”の無い国というのは幸福度が
高いという。頷ける。
日本という国は面白くて、”不足感”に
浸って唱えてまるでみんなでデカダンスを
迎えるために毎日儀式でも行なっている
かのように思えることがある。
足りない、足りないと思っていればきっと
そのまま足りないかもっと悪くなるだろう。
自らももがきながらも、俺は
ツイッターやブログに光を見出していた。
何の根拠もなく、続ければ何かが
起きるんじゃないかと。
いつからか、与えるというとおこがましいし
そんな高尚なものでもないけど、身近な
人間を自分の小さい活動領域の中で
応援したりするのが楽しくなった。
本気でヤバいって叫んでると
「お前がそんなにヤバいっていうそれを
ちょっと見てみようか」となる人は
少しは出てくるもんだ。
そしてどこに響くかわからないギャグや
情報、自分の似非ライフログのようなものを
放流するように。
結果が現時点ではまあこんなものなんだけど、
結構変わった人たちと遊んだり、たまに謎の
ご指名をいただけたりね。
人と人が繋がっていくのを見るのは愉快で、
旧態然とした俺にとっては誇らしいオタクの
人がプレゼンに使った貨物列車図鑑を
奇抜なファッションの若い娘が借りる場面を
見られた日にはゾクゾクした。
情報の呼吸法 (アイデアインク)
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あとこの本で重要なのは自分へのタグ付け、
ブランディングみたいなところか。
俺はよく「何やってる人なんですか?」
と言われてしまう。
Twitterの書き込み、DJ、ブログの
全てを見てもらって、結局何者なんだと。
ピングドラム風に言うと何者にも
なれなかった者なんだろうな。
FFのジョブで言う”すっぴん”になるにしても
もう少し何かと何かの領域を極めたい。
そしてタグを付ける。人はまずそのタグを
頼りに話しかけるのだから。
そう考えると、器用貧乏で何にも出来ない
何でも屋のように写るこの俺に対して
何らかのアクションを起こしてくれる
特異な人々には本当に感謝しなくては。
Twitterから、このブログから、
Facebookから、アクションを起こしてくれる
あなた。
ソーシャルと場面、瞬間瞬間にも感謝。
場を提供してくれた人、”場”そのもの、
そして付き合ってくれるあなた、
これら存在が何でもない俺を肯定(規定)し
支えてくれている。
少しずつ恩返しをしていきたい。
関わってくれている人同士を繋ぎ、
ささやかな笑いとスベりを提供し、
ささやかな祭を開催して。
遠くない未来に、ささやかな祭から
デカい祭にして、より多くの人に
何でもない奴でも楽しいことができる
ってのを知って欲しいし楽しんで欲しい。
それだけはずっと想い続けてる。
津田さんの文章を読んでは奮起して、
時が経ってはその想いが少しずつ風化(涙)、、
津田さんの文章を読んでは奮起して、、、
の繰り返し。
でも完全に風化しきる前にほんのちょっと
ずつは地層が重なってきてる感じ。
これは実感している。
それでは・・・
Beat your cajon!
※「Beat your cajon(カホン)!」とは・・・
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「不足感」っていわゆる「欠乏マインド」ですね。主観の問題。
嘆くのも時には大切ですが、今あるものでいかに回していくかってのも重要で、
これだけプラットフォームが充実してくると
それをしない言い訳もできなくなってくる。
格差は相変わらず残りますが、その責任の所在が
システムや国家から自分自身に移り変わりつつあるのが今かな、と。
その辺はもう少し掘り下げたいな、と何となく考えています。
> キムラヤスヒロ(鳩)
主観の問題でもあり、連帯にも繋がる
厄介な問題。
そもそも多く稼いだ人や国家からの
分配に頼る前提なのは不健全で、
それは先天的な弱者のためにこそ
保障されるべきシステム。
すぐお上を呼び出す、お上に頼るのは
資本主義とは言えない。