サワサキヨシヒロさんとの不思議な?縁

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今日はこの人のこのツイートに泣きそうである。泣いたとか泣きそうだとか言い過ぎてそういう人間は信用を失うのかもしれないが、世の中にはお前みたいな変化球ばかりを好むような人間だけじゃないんだよと言いたい。


sawasaki
サワサキさんありがとうございます!
そりゃたまには誰かにフックアップされることもあるでしょうという単純な話ではなくて自分の中では。
遡ること15年前!?
ハウスミュージックのDJを始めてすぐの頃に、今でも勝手に師匠と呼んでいる人のところに飛び込んでいって、デカいイベントに出してくださいと直談判、
―いやー本当は自分の実力が、立ち位置が、年齢が、迷惑がなど何も知らず気にせず省みず言い訳をせずダメ元でも飛び込むみたいなのが、一番良い姿勢なのかもしれないけど、自分もそういうことが出来なくなっていった人間の1人―
末席として参加させてもらったのだが、その時のヘッドライナー的存在だったDJたちの1人がサワサキヨシヒロさんその人。ビーナス(カワムラユキ)さんもいたな・・・
あの頃は何のためにDJをやっていたのかわからないけど、初期衝動という燃料を結構な量積むことが出来、かなり爆発させていたのでそれが延焼して何とか続けられた感じで、今ほど頭でっかちにDJとはイベントとは音楽とはみたいに考えてなかった。でもそれ故、DJの内容も浅かった笑
やっぱり人間が好きで、DJという行為で何とかコミュニケーションしようとしたり自分を媒介して少しでも幸せな気分になってもらおうとしないと良いDJは出来ないよね、よほどの天才がエゴ丸出しでプレイ云々の話は別として。
そのときに参加させてもらったイベントは渋谷のクラブを10個ぐらい同時に行き来出来るような、15年経った今でも(今だから?)やるのが難しいであろう凄い規模のイベントで、頭すっからかんでやっていた俺と、ヘッドライナーでやるような人とは単に同じフライヤーの端と端に名前が載っているという事実があるだけで何もかもが違うから両者はその後も交わるはずのない人生だった。
今思うに、頭すっからかんでもなんでも、アツくなり続けたり作ったりしてれば良かった。ギターをあまり触らなくなって曲を作ろうとしなくなって、そこそこのモチベーションでハウスミュージックをそこそこ掘って、アイドルとかに興味を持ちだした、その辺がデスロードの始まりだったっぽいな。曲を作り続けてれば違ったかもしんまい。
自分がオーガナイズをしていたイベントにお客さんが全然来なくなってイベントをたたんで、ちなみに終了したとかはきちんと公言してない気がするけど復活なぞ誰も望んでないので終わったことにしよう笑、当然ゲストDJとして他にお呼ばれすることもないので、いつやめてもおかしくなかった。当時20代後半。
そんな自分が今でもDJを続けていることのきっかけとなったのはUstream配信。DJとして全く必要とされてなかった自分を、PCやスマホ越しに見てくれる人が少なくとも数十人、多いときで数百人いて、色々な運や助けのおかげで1200人以上見てくれた日があった。
その前後からハウスミュージックという枠にとらわれ過ぎずにJPOP、アイドルソングを中心になんでもやるようになって、元々ジャズやフュージョンは聴くのは好きだったのだけど、とにかく「自分特有のアク」を忘れずにオールミックスになっていったと思う。
で、その後プレステージ加藤が加わってDJ中にハモったりしているうちに、昔加藤とやっていたバンドで成仏させられなかった大好きな曲を形にしてから死のうという話に。
実は作り始めはかなり辛かった。DJプレイやDJ MIXは結構嬉しいお声掛けをいただけるのだけど、オリジナル曲は相当俺たちを好きな人でないと評価もしてくれなければ聴いてもくれなかった、好きの反対は「嫌い」ではなく「無関心」と恋愛メソッドなどで良く言われるが、それだ。それほどパッケージとしての完成度が低かった。(まあ今もあんま変わんないか・・・)
今も頭で鳴っている音の数十%くらいしか具現化する力が無いんだが、それでも何割かのとこまではきた。
で、色々上手く行かない人生のなかでありがちな頭でっかちになってゆくんだが、あながちそれも悪くなく、
「頭で鳴っている音の数十%くらいしか具現化する力が無い」
ということは自覚できている笑。でも、数%から数十%に進化する過程で、色々変化が起きた。

それがこのChelip「ガールズ・ミッドナイト」の公式Remix依頼であり、
禁断の多数決「今夜はブギウギナイト」公式Remix依頼であり、
ハバねこポッセリミックスコンテスト優勝であり。

Chelip初の全国流通盤となったこのCD、
1. Change the Power!!!
2. ガールズ・ミッドナイト
作曲はサワサキヨシヒロさんである・・・
ここまでなげえ、俺も書いてて疲れた。でも、サワサキさんにも繋いでくれた人にも感謝。そしてそれだけじゃない。
ここ数回ライブ出演で呼んでもらっている復興屋台村気仙沼横丁の、横丁ライジング。最初はBUBBLE-Bさんに遊びに来ないかとお声掛けいただいて客として参加した。そのBUBBLE-Bさんとサワサキさんはご友人だという。
そして、ライブで呼んでもらった、
04月26日(日)京都I博vol.5 @京都METRO
この主催とサワサキさんは飲み仲間であるし、この日会場にサワサキさんもいらしていて、ご挨拶できた。
それよりも何よりも、
音泉温楽 信州長野 渋温泉 @金具屋
である。参加させてもらいはじめは挨拶も満足に出来ない感じだったが、ずっとお世話になっていたのであった・・・
そしてDJ CARPの存在が無ければ日本語DJに可能性を感じられないまま、やめるか敢えて特にJPOPにこだわるということはせず細々と続けていただろうし、彼に魅了され彼に対抗心を燃やして努力しなければ数少ないチャンスであった綱島温泉湯会から発展して渋温泉に連れて行ってもらえることもなかった。
その渋温泉では、温泉マニアでシンセマニア、テクノオリジネイターのサワサキヨシヒロさんが待っていた・・・15年前のイベントで同じフライヤーに名前が載っていたあの人。ちなみにその時俺はトーニャハーディングと名乗る前で名義は本名だった笑
特に何かを成し遂げたというような実感があるわけでも、作った音楽がきっかけで大金が舞い込んできたわけでもないけど、全ては薄くときに厚く繋がっていて、自分をそして世界を良くしようと諦めなければ、どこからともなく手が差し伸べられ、その繋がりを実感できるというお話。
Remix依頼いただいたどぶPさま、原曲のサワサキさん、そしてそれまでの縁を繋いでくださった方々に恥をかかせないためにも一層の精進が必要であり、非礼の無いよう行動し結果を出してゆく。

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